ポーランド旅行2024年5月の旅《8日目-2》アウシュヴィッツ・ビルケナウ博物館へ

 ポーランドへはこのために来た、と言っていいくらいに重要な所「アウシュヴィッツ・オシフィエンチム」へ向かいます。

 バス発車案内の掲示板の一番下に乗車予定の11:15発「オシフィエンチム」行きが表示されていました、同じ時刻発でも掲示板の文字の色、グリーン、オレンジ、レッドにも意味があると思われますが、不明です。

昨日、気が付かない自分が悪いのですが、散々な目にあってやっと購入した「オシフィエンチム」行きのバスチケット、仕様はほとんどレシートです、20 zt。

「アウシュヴィッツ・オシフィエンチム」は「クラクフ」から、Googleマップによれば、西方向へ走行距離70キロほど1時間くらいの場所です。

乗車したバスは途中のバス停で一度停車しましたが、ほぼノンストップで「アウシュヴィッツ・ビルケナウ博物館」前に到着、運行はやはり「ライコニック」バスです。

バス停はこんなデザインで、帰りのバスもここから乗るようです。

「アウシュヴィッツ・ビルケナウ博物館」のチケット発券機、と言っても見学はほとんどガイドツアーの予約制。

チケット売り場の向かい側にコインロッカーとトイレの建物があります、トイレは無料、コインロッカーは5ztでクレジット払いが可能でした。

写真右の黒い操作盤で支払い、ロッカー中央部にある読み取り機でバーコードの付いたレシートを読み込ませるので、ロッカーの扉には鍵穴などはありません。

さて、今回ポーランドを回るにあたって、「アウシュヴィッツ・ビルケナウ博物館」では、公認ツアーガイド唯一の日本人「中谷 剛」さんにガイドをお願いしようと、直接数度のメールをやり取りし、時間調整をしてこの日を迎えることができました。

予習していった「中谷 剛」さんの著書、映画「シンドラーのリスト」も何年かぶりに見直しました。

メールで送られてきたチケットはプリントアウトして持参します、予約の時間は15:20からです、この時のガイド料金は150ztでした。

ちなみに、ガイドなしで見学できるチケットはあります、中谷 剛さんにガイドをお願いする際ワシらの第一希望は20日だったのですが、20日か21日を提示され、希望日のガイドなし見学も予約した方がいいとアドバイスされました、「アウシュヴィッツ・ビルケナウ博物館」のウェブサイトから予約申し込みが可能ですが、20日には16:15以降にしか空きがなく、ガイドをしていただいて3時間ほどかかりましたから、個人で回ったとしても、理解度、時間的にかなり大変だったと思います。

「アウシュヴィッツ・ビルケナウ博物館」は見学そのものは無料なので、再訪の時などに使うには便利かと思います、写真の上がガイドツアーのチケット、言語の表示もあります、下がガイドなしの個人ツアーのチケット、丸の中に無料であることが表示されています。

写真右手、チケットカウンターでイヤフォンガイドと申し込みの手続きをしてくれてる中谷さん、予定では7名の参加者でしたが2名がキャンセルして、5名で回ることに。

博物館は「アウシュビッツの強制収容所」と「ビルケナウの強制収容所」に大きく分かれていて、先ずは「アウシュヴィッツの強制収容所」から見学を始めます。

もともとポーランド軍の兵舎だったた建物は、しっかりとしたレンガ造りの建物で、良く保存されてるように感じます。

このあたりからも有刺鉄線の塀を見ることができます。

写真ではわかりにくいですが、有名な文字が掲げられた収容所のゲート。

この中には28棟の収容棟があり、13棟ほどの中が見学できるそうですが、展示テーマのある施設の5棟を順次見学して回ります、高圧電流が流れる、二重の有刺鉄線の塀。

1939年9月、ナチス・ドイツがポーランドに侵攻、1940年6月に初めて728名のポーランド人政治犯が強制収容所に連行された。

展示室に掲げられた1944年「ビルケナウの強制収容所」の引き込み線にずらっと並ぶ貨車の写真、当時はヨーロッパのほとんどがナチス・ドイツの支配下だったため、遠くは一週間もこの貨車に詰め込まれて送られてきたらしい。

この頃にはこの場で選別が行われ、ほぼ四分の三の人たちが、そのままガス室に連行されたようで、写真をよく見ると、連行されたきた人々の荷物が置き去りにされている。

このあたりの様子は映画「シンドラーのリスト」に描写されている。

「ビルケナウの強制収容所」の第二クレマトリウム、ガス室と焼却炉のジオラマ展示、左側にあるのが大量殺人に使われた害虫駆除剤「チクロンB」。

ガス室で使われた、害虫駆除剤「チクロンB」の空き缶。

被収容者の義足、義手、松葉づえなど。

運ばれてきた人たちが持っていた、食器やボール。

履いてきた靴、いまだに色あせない赤い靴が印象的。

着ているもので差別されないよう、衣類を詰め込んだトランクや鞄。

当時のことが信じられないくらいに穏やかな時間が流れる「アウシュビッツの強制収容所」の一画、収容所内のポプラや白樺も囚人たちに植えさせた。

被収容者の部屋、ただ「わら」が敷かれている。

マットだけの部屋。

三段ベットの部屋。

銃殺の行われた「死の壁」。

絞首台。

「アウシュビッツの強制収容所」の復元されたクレマトリウム、ガス室、まだまだ規模も小さい。

そして、遺体を焼却した設備。

ナチス・ドイツが使っていた建物。

1942年から拡大された「ビルケナウの強制収容所」は2キロほど離れたところにあり、シャトルバスが運行している、「ビルケナウ」はドイツ語でポーランドの地名はブジェジンカ村。

収容所ゲート「死の門」からの引き込み線、広大な収容所の跡地を、引き込み線沿いに歩きます。

被収容者はこの貨車に詰め込まれ運ばれた。

見学者の多くが枕木の上を歩くため、風化が早まっているそう。

引き込み線の終端には、第二、第三、二つのクレマトリウムが並んでいたが、

ナチス・ドイツは1945年1月にソ連軍が収容施設を開放する直前、巨大な殺人工場クレマトリウムの証拠隠滅をはかり、自ら爆破、破壊した。

300以上の収容棟があったそうですが、粗末な木造の建物は戦後建築資材の供給原として持ち去られたと言われ、今はまるでレンガ造りの暖炉の煙突だけが、点在する墓標のように残っています、遠くに「死の門」が見えます。

「アンネ・フランクリン」が二か月余り収容されていたという、レンガ造りの建物は健在、ここも中を自由に見ることができます。

クラクフまでの帰りは、博物館前 06:30発のバスに何とか間に合い、運転手さんに直接現金で運賃を支払います、クラクフ到着は7時50分位でした。

クラクフに戻った後の夕食はやはりココ、駅中食堂「POLSKIE SMAKI」で3回目かな?。

今回はポーランドのスープ「ジュレック」です、かなり具沢山、一皿18zt。

この後、駅中のクレジットカードが使える「Biedoronka:ビエドロンカ」でビール、お水など買ってホステルに帰ります、なかなか中身の濃い、足にもかなりきた一日となりました。

バス停にあった多機能券売機、上にバス接近の案内、言語も選べて、チケット購入はタッチパネル、現金もクレジットカードも、ICカード系にも対応の優れモノです。

ポーランド旅行2024

Posted by tabitomo